「吾十有五而志二於学一。」 |
これは、志学という地名の由来となったとされる有名な論語※の一文です。 日本語読みにすると、「十五歳で学問を志す」という意味になるでしょうか。 ※論語とは、孔子の死後、弟子たちが編集した四書のひとつです。『四書』は、儒教の基本聖典で、「大学」「中庸」「論語」「孟子」から構成されています。
大田市三瓶町志学の古名は「四岳(しがく)」といい、三瓶山の四つの峰(親三瓶、子三瓶、孫三瓶、女三瓶)がその起源とされています。
四岳が志学に 改名されたとされる時期については、以下にあります。 古名「四岳」が「志学」と改名される大きな理由は、同じ読みの「しがく」からと以下の崇高な理念が背景にあるためとされています。 『論語』為政(いせい)第二が基となる年齢を表す言葉で、15歳のことを「志学」といいます。 論語の元となった中国山東省曲阜の東南、春秋時代の思想家「孔子」のこの教えは、今から2,500年以上も前の紀元前500年台の時代に「吾十有五而志二於学一。」と説いています。 つまり、「吾、十有五にして学(がく)に志(こころざ)す。」 孔子は、十五歳の時に学問で身を立てようと決心したことを表しています。 この崇高な理念が背景にある「志学」という地名は、誇るべき名前と考えます。 教育にも通ずるこの地名は、この地に育ちゆく人々に「こころざし」を育み、人知れぬ思いを宿らせ、人格形成に影響しているのではないかと、想像にかられます。 論語に示された全文は以下のとおりです。 子曰、「吾十有五而志二於学一。三十而立。四十而不レ惑。五十而知二天命一。六十而耳順。七十而従二心所一レ欲、不レ踰レ矩。」 読みは以下のようになります。 子曰はく、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲(ほっ)する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」 文章の一部には、聞き覚えのある有名なフレーズがあるのにお気づきでしょうか。 このように、有名な論語にあやかり、その崇高な理念を地名にこめた先人の想いを、私たちは大切にしていきたいと思います。
※志学の由来を編集するにあたり、昭和52年2月20日発行「志学教育百年史」(編集:志学教育百年事業推進委員会)の
「第四期 新学制と志学教育 六.志学小学校の校歌と校章の制定」のうちの次の一文を参考としました。 |
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