志学の由来

「吾十有五而志於学。」
吾、十有五にして学に志す。

これは、志学という地名の由来となったとされる有名な論語※の一文です。
日本語読みにすると、「十五歳で学問を志す」という意味になるでしょうか。

※論語とは、孔子の死後、弟子たちが編集した四書のひとつです。『四書』は、儒教の基本聖典で、「大学」「中庸」「論語」「孟子」から構成されています。

大田市三瓶町志学の古名は「四岳(しがく)」といい、三瓶山の四つの峰(親三瓶、子三瓶、孫三瓶、女三瓶)がその起源とされています。
 この四つの峰は、大田市立志学小学校校歌(昭和30年6月制定)の中で「清、明、和、強」という理想を示す言葉に置き換えられ、校章(昭和40年3月制定)にも象徴として採用されています。
※文中の「大田市立志学小学校校歌」をクリックすると校歌が別窓で表示されます。

 四岳志学に 改名されたとされる時期については、以下にあります。
 江戸時代・寛政(1789年〜1804年)の頃、今田知郷が志しを立て、京都に行き学びました。そして郷里へ帰って来た時に、地名「四岳」「志学」とした、とされています。

 古名「四岳」「志学」と改名される大きな理由は、同じ読みの「しがく」からと以下の崇高な理念が背景にあるためとされています。

『論語』為政(いせい)第二が基となる年齢を表す言葉で、15歳のことを「志学」といいます。

 論語の元となった中国山東省曲阜の東南、春秋時代の思想家「孔子」のこの教えは、今から2,500年以上も前の紀元前500年台の時代に「吾十有五而志於学。」と説いています。

 つまり、「吾、十有五にして学(がく)に志(こころざ)す。」

 孔子は、十五歳の時に学問で身を立てようと決心したことを表しています。

 この崇高な理念が背景にある「志学」という地名は、誇るべき名前と考えます。

 教育にも通ずるこの地名は、この地に育ちゆく人々に「こころざし」を育み、人知れぬ思いを宿らせ、人格形成に影響しているのではないかと、想像にかられます。

 論語に示された全文は以下のとおりです。

子曰、「吾十有五而志於学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所一レ欲、不矩。」

 読みは以下のようになります。

子曰はく、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲(ほっ)する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」

文章の一部には、聞き覚えのある有名なフレーズがあるのにお気づきでしょうか。

このように、有名な論語にあやかり、その崇高な理念を地名にこめた先人の想いを、私たちは大切にしていきたいと思います。


※志学の由来を編集するにあたり、昭和52年2月20日発行「志学教育百年史」(編集:志学教育百年事業推進委員会)の 「第四期 新学制と志学教育 六.志学小学校の校歌と校章の制定」のうちの次の一文を参考としました。
「三瓶町志学の昔の名は、四岳(親三瓶、子三瓶、孫三瓶、女三瓶)といい、のち論語の中からとった志学と改められた。校章のまわりは、四岳が図案化され、三瓶温泉の湯煙りをあらわして小の字が中央にはいっている。」
 他参考文献、角川日本地名大辞典。

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