志学歴史年表 |
縄文時代 後期 | BC300 | 西上山の谷あいの水田に面した山の斜面から、乳棒状の石斧とやや平らな石斧二個が出土。
三瓶山麓一帯に人々が生活していたことがわかる。 |
白鳳時代 | 684年 白鳳13年 | 日本全国で大地震、浮布池ができる。 |
685年 白鳳14年 | 三瓶山噴火。 |
701年 大宝元年 | 律令制度がしかれ、三瓶山麓は高田郷となる。 |
天平時代 | 718年 養老2年 | 三瓶山に烽(のろし)を設ける。 |
770年 宝亀元年 | 大乗寺が室の内に創立。 |
平安時代 | 891年 寛平3年 | 三瓶山麓八箇所に八面神社創立。 |
鎌倉時代 | 1225年 嘉禄元年 | 室の内にあった八面神社を洪水のため金比羅坂に移遷。 |
室町時代 | 1539年 天文8年 | 尼子経久、志学鶴天城の城主となる。 |
1543年 天文12年 | 尼子晴久の書状(閥閲録)に、「賀淵長原」とあり、賀淵(かぶち)と長原を合わせて一つの所領とし、赤穴久清に与えている。 |
1547年 天文16年 | 志学宗正寺の創立。 |
1550年 天文19年 | 志学西教寺の創立、この頃、蓮昌寺の創立。 |
1556年 弘治2年 | 三瓶山麓で尼子軍と毛利軍の激戦が続く。 |
桃山時代 | 1573年 天正元年 | 上山に浄光院創立。 |
1575年 天正3年 | 志学の大火。 |
1600年 慶長5年 | 三瓶は、大森代官の所領となり翌年、定めの松等の一里塚が植えられる。 |
江戸時代 | 1670年 寛文10 | 大田吉永の藩主が種牛を買入れて三瓶に放牧した。 |
1674年 延宝2年 | 大洪水あり(寅の洪水という) |
1697年 元禄10年 | 志学村の田方384石、畑方173石、年貢高米241石、家数の本家132、門屋66、人数797。
賀淵村の田方107石、畑方55石、年貢高米50石、家数の本家19、門屋10、人数132。
長原村の田方109石、畑方39石、年貢高米59石、家数の本家26、門屋9、人数158。
上山村の田方229石、畑方89石、年貢高米102石、家数の本家64、門屋28、人数384。 (石見銀山領村々覚による) |
1728年 享保13年 | 稲荷神社を建立。 |
1773年 安永3年 | 三瓶山麓で薬用人参の栽培始まる。 |
1800年 寛政12年 | 今田知郷「三瓶十二勝」を著した。 寛政の頃、今田知郷が志しを立て、京都に学んだ。そして帰って来た時に、地名「四岳」を「志学」とした。 |
1806年 文化3年 | 横畑に鴨明神祠を京都賀茂神社から勧請。 |
1848年 寛永元年 | 加淵の超勝院を礼善寺と改めた。 |
1865年 慶応元年 | 財政難となった志学村は温泉権を売ることとなる。 |
1866年 慶応2年 | 鳥井村から百姓一揆がおこる。 |
明治時代 | 1870年 明治2年 | 大森県を廃し浜田県となる。 志学下の町にて大火。 |
1872年 明治5年 | 浜田大地震にて志学も家屋の倒壊激しかった。このため温泉の温度45度となる。浜田を中心にして死傷者1,250人。千畳敷出現。 県内区制を施行し、志学池田区戸長に志学がなる。 |
1873年 明治6年 | 志学部小学校が蓮昌寺に創設。 |
1875年 明治8年 | 加淵村、長原村を志学村に合併。 |
1876年 明治9年 | 浜田県を廃止し、島根県となる。 |
1877年 明治10年 | 奥の湯に初めて旅館が建てられる。 温泉権が志学の村有に返還される。 |
1879年 明治12年 | 志学八面神社金比羅坂から現在地に移転。 |
1880年 明治13年 | 志学にショートホーン種を導入し、志学に殖牛社を設立した。 |
1883年 明治16年 | 加淵の大火。 |
1886年 明治19年 | 奥の湯にて大雪崩、旅館押し潰され旅客5人死亡。 広島第5師団野砲第5連隊が初めて三瓶原で実弾射撃をした。 |
1888年 明治21年 | 三瓶の原を演習地として陸軍が土地の買収を始めた。 三瓶山麓の三村で牧畜組合を設立した。 |
1889年 明治22年 | 多根、志学、上山、小屋原が合併して佐比売村が誕生した。 |
1890年 明治23年 | 下の町へ温泉の湯を流し、湯場を作った。 |
1891年 明治24年 | 室の内池へ鯉の稚魚五百匹が放流される。 |
1892年 明治25年 | 志学駐在所が設置された。 |
1893年 明治26年 | 地震の為、地すべりが起る。 |
1895年 明治28年 | 第一回安濃郡内小学校生徒連合運動会を大田の川原で開く。 現大田市小学校連合運動会(現在も続いている。) |
1897年 明治30年 | 志学小学校校舎を横畑に新築移転した。 この頃から八面神社にて志学神楽が奉納される。 |
1899年 明治32年 | 三瓶西の原で佐比売村三小学校連合運動会を初めて開いた。(この運動会は昭和21年まで続いていた。) 浜田二一連隊が演習に初めてきた。 |
1900年 明治33年 | 10月に7日間にわたって、第一回中国五県畜産共進会が志学で開かれた。 |
1902年 明治35年 | 砲兵が三瓶の原で演習をし、陸軍の手で上山に砲車道路がこの頃よりできた。 志学郵便受取所を温泉の個人宅に開設した。 |
1905年 明治38年 | 志学郵便受取所を志学郵便局と改称した。 この年地震十回あり湯の量も多なり、泉温43度位となった。 |
1906年 明治39年 | 松江六三連隊が演習に初めてきた。 久部の八面神社、加淵の金神社を八面神社に合杷した。 |
1908年 明治41年 | 義務教育が延長され尋常科六年課程となる。志学に陸軍兵舎が建った。飯石郡頓原町医師が志学消防組に消防ポンプを寄付した。長原大年神社を志学の八面神社に合把。 |
1912年 明治45年 | 志学仏教婦人会の創立。 |
大正時代 | 1916年 大正5年 | 佐比売村有浴場を設置した。 |
1918年 大正7年 | 東の原水ヶ迫マブ百四十mを陸軍兵舎の水源として掘る。ワサビ生産の全盛期。 スペイン風大流行。志学では二十数名が死亡した。家族全員が死亡した家もあった。 |
1920年 大正9年 | 志学小学校校舎改築落成。北白川宮殿下志学へ御成り。 勝負ヶロ、松ヶ平のマブを陸軍兵舎の水源として掘る。 |
1921年 大正10年 | 志学神楽の復興に奔走した。 湯の谷川にて自家発電をし湯元旅館に送電した。これが電灯の始まりである。 久部川を利用して自家発電し旅館経営に役立てた。 |
1922年 大正11年 | 松江高校ドイツ語講師ドイツ人プラーゲーが三瓶で初めてスキーを披露した。 |
1923年 大正12年 | 三瓶スキークラブが発足した。 |
1924年 大正13年 | 早水川下流に邑智電気発電所ができた。 |
1925年 大正14年 | 志学小学校に高等科を併置した。志学信用組合を旧西教寺の庫裡に設立した。 三瓶スキークラブ会員がスキーの宣伝に飯石郡へ向った。 |
1926年 大正15年 | 早水川の右岸に発電所ができた。 年末豪雪。豪雪の際、スキークラブ会員にて郵便物を池田まで輸送した。 |
昭和時代 | 1927年 昭和2年 | 大山のスキー大会に県代表として初めて志学から選手を派遣した。 長原にて中国電力工事中雪崩の為1人死亡。 佐比売村公設消防組第一部(志学温泉町)、第二部(志学下の町)を設置した。 |
1928年 昭和3年 | 陸軍兵舎に電灯がついた。 |
1929年 昭和4年 | 志学農繁期託児所が宗正寺に開設された。 新生志学婦人会の創立。 |
1930年 昭和5年 | この年に地震十数回おきる。 |
1931年 昭和6年 | 佐比売村公設消防組第七部で(上山)を設置した。 |
1933年 昭和8年 | 佐比売村公設消防組第九部(長原)を設置した。 第一回県スキー大会を三瓶で開催した。 |
1934年 昭和9年 | 高松宮、同妃両殿下志学に御成り。 |
1937年 昭和12年 | 三瓶山が県立公園に指定。 国防婦人会佐比売村志学分団創立。 |
1938年 昭和13年 | 温泉町浩然楼の焼失。 |
1939年 昭和14年 | 志学消防組が解除となり警防団が編成された。 |
1941年 昭和16年 | 志学婦人会の創立。 小学校を国民学校と改称。県下中等学校連合演習が三瓶原で開かれた。 |
1942年 昭和17年 | 兵舎には年間兵隊が常駐した。西教寺、宗正寺の梵鐘供出。 |
1945年 昭和20年 | 大阪の疎開児童二十名が志学に来た。 八月十五日終戦、長かった陸軍演習地、兵舎は姿を消した。 |
1946年 昭和21年 | 三瓶開拓団が兵舎跡へ入植した。 |
1947年 昭和22年 | 学制改革に伴い佐比売村立志学小学校となる。 佐比売村立三瓶中学校志学教場として中学校が発足し、元陸軍兵舎を改造し校舎とした。 国立公園島根観光地区建設期成同盟を結成した。国際観光地A級指定。 |
1948年 昭和23年 | 志学上山地区で佐比売村分村問題が起きた。 志学農業協同組合創立。三瓶開拓酪農農業協同組合設立。 |
1950年 昭和25年 | 三瓶山が毎日新聞主催の新日本観光地百選に入選。 私立志学保育園が西教寺に開設。 |
1951年 昭和26年 | 女三瓶山頂上に中国管区警察のマイクロ施設ができた。 三瓶牧野組合の結成。 |
1952年 昭和27年 | 加淵溜池の決懐にて大水害。 |
1953年 昭和28年 | 佐比売村立志学中学校として独立。 |
1954年 昭和29年 | 佐比売村が大田市に編入。 大田市立志学小学校、大田市立志学中学校と改称。小学校は現在地に全面改築移転。 |
1957年 昭和32年 | 「国鉄山の家」が共済保養施設の先端を切って建った。 上山の木谷溜池決懐、民家5軒床下浸水。 |
1959年 昭和34年 | 厚生省は志学温泉を国民保養温泉地に指定した。 志学温泉を三瓶温泉と改称。 |
1960年 昭和35年 | 三瓶診療所の開設。 県下初の国民宿舎「三瓶荘」が市営にて開設。教職員の「志学山荘」が開設。 |
1961年 昭和36年 | 志学農協婦人部結成。 大平山に観光リフトできる。有線放送施設完成。 |
1962年 昭和37年 | 志学は電話の即時通話となる。 |
1963年 昭和38年 | 4m以上の大豪雪。大豪雪にてバス運休五十日。学校臨休十日。奥の湯、鈩原にて大雪崩があり、鈩原にて死者1名。(俗に言う、38豪雪) 三瓶山へ初のスキー列車「銀嶺号」の運転。三瓶山が国立公園に指定された。 志学中学校校舎新築落成。志学牛市場は古い伝統の幕をとじた。 山陰テレビの中継所が女三瓶頂上に施設された。 |
1965年 昭和40年 | NHKのテレビ中継所、女三瓶に建設。この年も豪雪。 |
1966年 昭和41年 | 志学農業協同組合は三瓶農業協同組合に合併。 |
1967年 昭和42年 | 志学小中学校屋内体育館新築落成。志学郵便局舎の新築移転。簡易保険の保養センター開設。温泉を使って道路の雪どけをはかる施設完成。三瓶スキースポーツ少年団の発足。 |
1968年 昭和43年 | 大田市外二町消防署三瓶出張所が志学に設置される。 上山の大杉が県天然記念物になる。 全日本スキー連盟指導員研修会が志学で開かれ、高松宮殿下ご臨席される。 志学スポーツ少年団(五団)の発足。 |
1969年 昭和44年 | 国立公園大会が三瓶で開催され常陸宮同妃殿下ご臨席。 |
1970年 昭和45年 | 三瓶一周舗装道路が完成。志学−大田間も完全に舗装された。 志学小中学校完全給食開始。志学体育協会の発足。緑ヶ丘に三瓶電話局新築落成。 |
1971年 昭和46年 | 志学小中学校プール竣工。 全国植樹祭が三瓶で開催され、天皇、皇后両陛下ご臨席。 |
1974年 昭和49年 | 志学生活改善センター(公民館)の竣工落成。大田警察署志学駐在所が現在地に移転。 三瓶農業協同組合と大田中央農業協同組合と合併し大田市農業協同組合として発足。 |
1975年 昭和50年 | 三瓶周辺に集中豪雨があり、三瓶線の県道は12日間交通途絶した。 |
1976年 昭和51年 | 大田市水泳大会を志学にて開催。県水泳大会に志学小学校女子選手が四種目優勝した。 第一回全国老齢者マラソンが三瓶の原で開催された。国立三瓶青年の家開所。 志学教育百年記念式典挙行。 |
1977年 昭和52年 | 三瓶温泉街を迂回するバイパス完成。 |
1978年 昭和53年 | 三瓶山を震源とする震度4の地震発生。 |